大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

多治見簡易裁判所 昭和37年(ろ)24号 判決 1965年2月12日

被告人 小川健治

明四四・一〇・一二生 教員

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は

被告人は昭和三一年四月一日以降岐阜県土岐郡笠原町一六七五番地所在笠原中学校の校長として学校の施設及び設備を管理し重要な施設及び設備の一部又は全部が毀損し又は亡失した場合には速かに教育委員会に報告し指示を受けるは勿論、絶えず施設及び設備を点検し危険発生の虞れある場合には応急修理若しくは当該箇所の通行出入禁止等の措置をとり、もつて学校職員生徒等の安全をはかるべき業務上の注意義務があるところ、同中学校校舎の一部である通称中央階段東側廊下は地面から三米余りの高さにあり右廊下の柱の根元が数ヶ月間腐蝕し一部の柱の根元は地面から離れ柱と框との接触は充分でない老朽した不安定な廊下であるから他にもどのような箇所にどのような欠陥があるかも図り知れず多数の生徒が通行し同所に密集する場合にはその重量に堪えかねて何時床板などが落下するかも知れないから自ら外形的判断をなすのみならず建築家などの専門家に依頼してその安全性を確認し事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたにかかわらず之を怠り通行を禁止するな適当な処置を講ぜず漫然放置した過失により昭和三六年七月一七日午後零時過頃同渡り廊下に生徒二〇数名が昼食用のパンの購入又は手を洗うため密集した際不安定な柱のため廊下が生徒等の重量を支えきれず廊下板張りが生徒と共に路面に落ち、よつて生徒松本嘉彦外二〇名に別表一覧表記載の通り傷害を負わしめたものである。

というにあり、よつて次のように判断する。

第一、被告人の当公判廷における供述、笠原町教育委員会規則による笠原町立小中学校管理規則抄本、司法警察員作成の実況見分調書(但し、添付の現場平面図その二を除く、以下同じ)、証人梅本銀次に対する当裁判所の尋問調書、各被害生徒の司法警察員並びに司法巡査に対する各供述調書、医師小栗一郎、同藤井幸三作成の被害生徒に対する各診断書によれば、

被告人の笠原中学校長としての職務、内容が公訴事実冒頭の如くであること。

昭和三六年七月一七日午後零時過頃同校の通称中央階段東側渡り廊下の床板のうち南側一部を残して八、九平方米が陥没し、そのうち北端二、三平方米は土盛にて支えられ、六、六平方米が生徒と共に路面に落下し、生徒松本嘉彦外二〇名が別表記載のように全治二週間ないし二日間を要する各傷害を受けた。

事実を認めることができる。

第二、右落下事故の原因

(一)  本件渡り廊下の概況

証人鈴木米照、同本荘二朗、同本荘担、同伊東吉彦、同長谷川甚五郎の当公判廷における各供述、前掲実況見分調書及び証人梅本銀次尋問調書によれば

昭和二三年頃笠原中学校校舎及び同校舎中央北側の地上から北方の土盛上の公仕室に通ずるため木造の階段廊下が建造されその後一年以内に右階段廊下の東側に木造の本件渡り廊下が校舎二階から右公仕室前の土盛上に至る間建設されたもので全長約八、九七米、巾員約一、七一米の木造廊下で両側は縦一三糎・横一一糎の桁が渡され桁内側に三五糎間隔に深さ約二糎の框(根太)の差込穴が堀込まれ、これに長さ一、五四米の六糎角の框が差込まれ釘でとめ、その上に厚さ一、八糎・巾八糎の[木無]材の床板を長手方向に張り、桁を支えるため両側に三寸五分ないし四寸角の柱が四本宛建てられ二階から右公仕室前までゆるやかな勾配となつており校舎から土盛に至るまで、地上から床板まで三、四二米ないし三、一五米の高さがあり東側桁の上部に手すり及び腰板が設けてあつた。

其後昭和二七年か昭和二八年頃右[木無]材の床板の上に厚さ一、八糎巾一〇糎の檜材の床板を長手方向に張つたが昭和三四年の伊勢湾台風により屋根及び腰板、手すりに破損を生じたので其後屋根を修理したが腰板及び手すりは其儘にし、昭和三五年四月頃大工長谷川甚五郎が右廊下と土盛との間に支え柱二本を入れかすがいでとめておいたものである。

(二)  事故当日の状況

証人加知恒秋、同山本末松の当公判廷における各供述、本荘とし、谷口典隆、遠藤桂次、林繁、各務妙子、伊佐地咲子、堀江富男、加藤謙三、加藤富夫、水野次夫、岩松豊、水野実、浦野安敏の司法警察員ならびに司法巡査に対する各供述調書によれば

同校は昭和三五年七月頃から中央階段渡り廊下において山本末松に昼食用のパン、牛乳の販売をさせており平素は同人が午前十一時頃にパン類を同所に運び、各クラスの当番が購入希望を取りまとめて同人に申込み同人が各クラス毎に所要数のパン類を仕分け西側廊下の机の上に並べておきこれを当番に渡していたので混雑することはなかつたが事故当日はパン運搬の春日井パンの自動車故障のため遅れ午後零時一〇分過頃漸くパン類を同所に運搬するに至つたため山本において各クラス毎に仕分するいとまなく同人や運転手がパン箱を東側渡り廊下中央辺りに持込むと同時にパン購入の生徒が一度にパン箱の周囲を取囲み、かつ折柄昼食時であつたため茶を公仕室に取りに行く者階下の手洗場に手洗に行く者等が東、西渡り廊下にあふれその数四、五〇名の多きに達し我先にパンを購入しようとし、或は無理に通行しようとする者が押合い著しい混乱状態に陥りたまたま現場に居合せた数員加知恒秋が制止せんとした矢先に前記第一掲記のように本件渡り廊下の一部が生徒と共に地上に落下したものである。

(三)  右落下事故の原因

前掲実況見分調書、証人長谷川甚五郎、同遠藤清の当公判廷における各供述、鑑定人広川誠三郎作成の鑑定書、証人広川誠三郎に対する当裁判所の尋問調書によれば

本件渡り廊下の構造につき

イ、廊下両側の柱を結ぶ胴差が用いてない。このため座屈変形(弓なりに曲ること)を誘発しやすい。

ロ、桁と框(根太)の仕口が簡略である。胴差が用いてないのに桁と框の仕口に腰掛蟻(桁の切込と框の柄を扇形にして桁が外側に開かないように固定すること)等の工法が用いてない。

桁と框との差込が二糎に過ぎないのに框をとめる釘が短い。

ハ、柱、桁、框が比較的細い材料が用いてある。

ニ、廊下の床板が長手方向に一所継ぎに張つてある。このため床の受ける荷重が拡散されない。

ホ、柱と桁、桁と框、の仕口に補強金物が用いてない。このため構造体がゆれ変形が大となる傾向がある。

ヘ、構造体の重要部分の保護養生について十分な工夫がされてない。このため柱の脚部、柱と桁、桁と框の仕口に雨水が侵入し、木材の腐蝕や釘の錆やせを促進した。

このような欠陥が存在した。

更に廊下東北端の柱の脚部、その柱と桁の仕口附近が腐蝕しておりかつ柱脚部の下部の土が流失し支持台を失つていたため桁の一方の支端は頼る支点を失い桁の捻れ変形、水平方向の変位を拘束する力を失つていた。

右のような廊下に前掲のように多数の生徒が密集し、然かも烈しく動き廻つたため平時に比較して著しく大きい衝撃的性質を含む荷重が加わり床板を支えていた框が曲げたわみ内数本は割裂を生じて床面は下方に湾曲し、框の両端を通して桁に引張力を与へると同時に框の両端が著しく傾き、框の引張力により桁との間に打込まれていた縫釘は引抜かれ、桁は内側に大きく捻られ、このような変形が累積して床板は両側の桁の間に落込み、両側の桁を外側に押開いたので框の端掛りが連鎖的に外れて地上に落下するに至つたものと認められる。

第三、被告人の過失の有無

本件廊下の構造につき前掲のような欠陥が存じたことが明らかでありその内桁と框との仕口、框をとめてある打釘の状況は床板の下にあるため外見上発見し得ないものであり、其の他の部分は外見上認知し得るものであることはその構造上明らかである。然しこのような構造についての欠陥は建築技術又は知識を有する者でなければこれを発見、判定しがたいことであり、これが技術、知識を有しない被告人がその欠陥に気付かなかつたとしても其責を問うべきものとはいえない。

次に前掲実況見分調書によれば廊下東北端の柱の脚部、その柱と桁の仕口附近、西北端の柱と桁の仕口附近がいずれも腐蝕し、遊離し、かつ右東北端の柱脚部と支持台とが遊離していることが認められ、それらの腐蝕状態が事故前より存していたものであることは明らかであるが右各柱と各桁が事故前より遊離していたか、或は本件事故の際生じたものかを明確にする資料に乏しい。

右東北端の柱の脚部の腐蝕していたことおよび右柱脚部と支持台が遊離していたことについては被告人の認めるところであるがこの事実から被告人が本件渡り廊下落下の危険を予想し得たか否を検討するに、

証人伊東吉彦、同加知恒秋、同小林俊雄の当公判廷における各供述によれば

同校教員である同人等は平素右廊下を通行していたが落下等の危険を感じていなかつたこと、同廊下は雨の降込むときに限り生徒が滑る虞があるため通行禁止の措置をとつていたがそれ以外は自由通行を許していた。

証人長谷川甚五郎、同遠藤清の当公判廷における各供述、被告人作成の教育長に対する校舎等管理についての報告書及び証第六号(長谷川甚五郎作成の卓上日記昭和三六年度分)によれば

笠原町吏員である大工長谷川甚五郎は同校校舎、施設等の修理のため屡々同校に赴いており特に昭和三六年三月一一日に同校炊事場及び渡り廊下の設計見積のため本件渡り廊下周辺を見分しており、更に同町吏員で水道並びに建築に技術者である遠藤清は事故二日前である同年七月一五日に同校給食室及び渡り廊下改築のため被告人と共に本件渡り廊下周辺を見分しており、技術者である右両名とも本件廊下東北端柱の腐蝕状態等を目撃しながら落下の危険を予想せず、被告人に何等の警告、指示をも与えていない事実を認めることができ、

尚、実況見分調書添付の写真によれば、柱、桁等に相当腐蝕箇所の存する状況が顕出されているが、右写真は事故後に当該箇所を見易くするため部分的な撮影がなされているので強く印象づけられるがこれが一個の建造物として形成されている当時には通常腐蝕の存在を認知しても崩壌、落下等の危険迄感ずることは少いことと考えられる。

よつて建築技術者でさえ落下の危険を予想し得なかつたのに、技術者でない被告人がこれを予想し得なかつたとしも無理からぬところであり落下の危険を予想しなかつた被告人が本件廊下に対して通行禁止或は応急修理等の措置をとらなかつたことについて責むべきものとはいえない。 次に検察官は構造体の一部に腐蝕の存することを認知した以上他の箇所にも腐蝕の存することは当然予想し得る筈であるから専門家に安全性を確認さすべきであると主張するが、前掲のように技術者である長谷川、遠藤両名が本件廊下を見分しているのに更に専門家をしてこれが安全性を確認させるということまで一校長である被告人に期待することは無理なことと考えられる。

学校長に学校施設設備の管理責任ありといつてもそれは技術的能力、予算関係、人的物的事情等により自ら限度があるものであつて学校教育法並びに地方教育行政の組織及び運営に関する法律により地方公共団体又は教育委員会においてこれが施設設備について生徒等の使用に堪え得るよう常に安全性の点検、確認をなし、若し不備の箇所あるときは早期に修理、改造等の措置を構じ本件の如き事故の発生を未然に防ぎ、校長、教員をして安んじて本来の使命である子弟の教育に専念しうるよう配慮されることこそ望しいことである。

以上の理由により本件事故につき結果の予見可能性がないから被告人に対する本件公訴事実は罪とならないものとして刑事訴訟法第三三六条前段を適用して主文のように判決する。

(裁判官 岡田正行)

別表(略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例